小笠原への赴任が決まったのは、昨年のちょうど今頃の時期。
今の会社を入社2年目にして、ひとり小笠原への赴任。
今年1年間で築き上げてきた土台の上に立って、小笠原のためになる仕事ができるよう、プライベートを楽しめるよう、そしてこのブログももっともっと充実させることができるよう、来年もまた頑張っていこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
パパスダイビング恒例のイベントダイビングのひとつ、鍋付きダイビング。
12月に入り、昼間の気温が20度前後とダイビングにはちょっと寒い。
水が冷たいということもあって、水から上がって風に当たると本当に寒い。
そんなときには、船の上での鍋が最高!
ダイビングの水面休憩時間にアカハタを釣って、そのダシに持ち寄った具材を放り込んでグツグツ煮てできあがり!今回は島の中学生も参戦ということで、賑やかなメンバーで鍋を囲んで、美味しく楽しいひとときを過ごしてきた。
星野さんアカハタをさばく
みんなで鍋を囲んで
夕暮れ時に呑み屋を覗くと、ガラガラに空いた店内を広く陣取っている顔見知りの寛いだ姿が目に入る。
先週日曜日。波乗りの後、一緒に音楽をやっているスイングブローの仲間プラス国有林職員の面々でバーベキュー。今までバーベキューに、しかも日曜日に、次の日みんな仕事なのに、こんなに集まることなんてなかった。仕事はあってもお客さんを迎えるわけでもなく、心にゆとりがあるのか、夕方6時から日付が替わる頃までのんびりと呑み通し。この寛いだ感じがなんともいえない。
話は変わって、先月の終りから、小笠原の航空路開設に向けた動きが活性化している。今月中旬に空港の必要性に関する住民意識調査、そこで必要性の合意が得られれば、PI(住民参加)のプロセスを経て計画を煮詰めていくことになる。
島の中には、便利を望む人もいればそうでない人もいる。将来航空路が開設されたとして、それによる変化には様々な側面がある。少なくとも、年に一度のおがさわら丸ドック入りという一大行事は、航空路の存在により、島の人の生活に今ほどの影響を及ぼさなくなるだろう。おがさわら丸の出航・入港という1週間のサイクルに刻まれた生活のリズムも変化していくものだろう。
これは良し悪しではなく、純粋に島民それぞれの価値観の問題。住民意識調査の結果がどう出るか、楽しみでもある。
ここの盆踊りでは、やぐらの上で太鼓を叩く人、やぐらの中段で踊る人、それを取り囲んで踊る人、そして屋台でカメ煮込みやかき氷を売る人に夏祭りの実行委員長、ほとんどみんな顔見知りで、地域のみんなでお祭りをつくりあげている感覚がする。毎年最終日には「生歌」というイベントがあって、島の人、内地から観光で来た人問わず、参加希望者がやぐらの最上段上に上り、音頭の歌を歌い、それに合わせてみんなで踊る。
傍観者は少数で、ほとんどが参加者。みんなでつくっている、そういう感覚が、このお祭りを盛り上げている秘訣なんだと思う。
キンメモドキ
近頃、水中撮影用に、コンパクトデジタルカメラCanon IXY 900ISとウォータープルーフケースを入手したので、これからは、小笠原の水中世界の様子もお届けしたいと思います。
この空間を見渡すと、人が住んでいた当時の光景が目に浮かぶ。この辺りの林を構成する木々の丈は低く、それほど立派な太い木は存在しない。当事、住人はここに畑を作っていたのだろう。斜面に石積みで土台を作り、家を建て、その周りに薔薇やゲットウを植えて花を愛で、グァバの実の季節の到来を楽しみにしていたに違いない。ガイドさんによると、確かな記録があるわけではないが、この場所には戦前に人が住んでいたという。
住人が去り、家が跡形も無く朽ち果て、石積みの家の土台の遺構が遺跡さながら残るだけになっても、住人が植えていた木や花は現在も生きて存在し続けている。時の流れと共に変化していくもの、その同じ時の流れを経ているにも関わらず、現在も当時と変わらず生き続けるもののコントラストが妙に新鮮だった。