一人で歩いていると、そんな光景も謎のまま、記憶の隅に追いやられてしまう。
ところが、この場所に詳しい、小笠原歴の長いガイドの方に案内してもらうと、そんな光景が意味を持ち、確かな記憶の中に焼きつくことがある。
今回の調査で案内をお願いしたガイドさんは、小笠原歴約30年、小笠原の、海ではなく、陸のガイドを始めた第一人者、ただ経歴が長いだけでなく、勉強熱心で、小笠原の歴史、生き物から雑学まで本当によく知っている方。
歩いている最中に、ガイドさんが茂みを指差して「これ、何だ??」と問いかける。指の指す方を見ると、きれいな赤い薔薇の花が咲いている。一目瞭然、「ば、薔薇?」。半信半疑で答える。小笠原にこんな花をつける自生の薔薇は無いはず。こんな山奥に薔薇があるなんて、思いもよらない。そう言われて辺りを見渡すと、古い石積み、ゲットウ(現在も切花等で用いられる園芸品種の植物)、グァバの木も並木のごとく連なって生えていることに気づく。間違いなく、人の住んだ痕跡。
この空間を見渡すと、人が住んでいた当時の光景が目に浮かぶ。この辺りの林を構成する木々の丈は低く、それほど立派な太い木は存在しない。当事、住人はここに畑を作っていたのだろう。斜面に石積みで土台を作り、家を建て、その周りに薔薇やゲットウを植えて花を愛で、グァバの実の季節の到来を楽しみにしていたに違いない。ガイドさんによると、確かな記録があるわけではないが、この場所には戦前に人が住んでいたという。
住人が去り、家が跡形も無く朽ち果て、石積みの家の土台の遺構が遺跡さながら残るだけになっても、住人が植えていた木や花は現在も生きて存在し続けている。時の流れと共に変化していくもの、その同じ時の流れを経ているにも関わらず、現在も当時と変わらず生き続けるもののコントラストが妙に新鮮だった。