2007年3月3日土曜日

歴史の中に埋もれた村

父島の周回道路の南端にある小港海岸で車を降り、遊歩道を歩いて標高100m程度の中山峠を越え、また海岸まで下りてきたところに、ブタ海岸がある。遊歩道はこのままブタ海岸を南方向に横切り、さらに南のジョンビーチ、ジニービーチへと続いている。ジョンビーチ、ジニービーチはカルスト地形とサンゴの破片から成る真っ白な砂を目当ての観光客の目指す所。流木がそこらじゅうに横たわり、砂の色が灰色で、どことなく殺風景なブタ海岸には目もくれず、人々は通り過ぎていく。

このブタ海岸に注ぎ込む南袋沢という小川を遡上してみた。

南袋沢は、流路長1.5km程度、それでも東西の幅が4km程度しかない小さな父島の中では比較的まともな河川。この約1.5kmの小川の両脇に、高さ100m程の崖が切り立っている。崖の上を通る遊歩道からこの谷間を見下ろすと、一面緑の草木に覆われていて、それ以外は何も無いように見える。

ところが、この谷間を流れる南袋沢を遡上してみると・・・。


緑の木々の下には崩れかけた石垣、石畳の道、そして井戸の跡。まさに、人々が生活していた跡。石垣や石畳の間にはガジュマルの根が張り、井戸は崩れて底が見え、遺跡そのもの。

南袋沢の川べりに残された石垣。

南袋沢の水面に写るガジュマルの木。写真左上のゴロゴロとした石の並びが石畳の道の遺構。


井戸の遺構。

この場所の歴史を紐解いてみると・・・。戦前にはこの場所には袋沢村という集落市街があり、捕鯨や漁業等で栄えていた。それが、戦時中には父島全島の要塞化のために人々は疎開、戦後は長らくアメリカの占領下にあり、小笠原諸島の日本返還後にも復興されることはなかった。

ほんの60年ちょっと前の話、それなのに、家の跡形も無く、石の構造物の残骸しか残されていない。戦時中にこの場所で何があったのかは知らない。自然の力による風化でこんなになってしまうものなのか・・・。時間の流れという力の大きさを感じた。

2 件のコメント:

chaitian さんのコメント...

ちわっす。
やっそさんのブログ、写真がきれいですね。さっそく小笠原に行きたくなりました。

小笠原の自然もいいけれど、個人的には、今回のテーマのような、かつての生活跡だとか戦時中の遺構だとか、そういった小笠原の歴史を感じることができるものに触れてみたい気がします。

ではでは。

やっそ さんのコメント...

戦跡ねぇ・・・。

いろいろ聞いてると怖くなってきて、あんまり深入りしない方が身のためかもしれない。今日(3月11日)に付けたブログの横顔も関係あるかもよ。