2009年12月24日木曜日

大聖堂のクリスマス

カンタベリーには、13世紀頃に建造されて、元英国国教会の総本山としてこちらでは有名なカンタベリー大聖堂がある。今日12月23日に、一般公開のクリスマスキャロルに行ってきた。


大聖堂に入ると、その大きさ、建造物そのものや装飾の美しさに圧倒される。以前昼間に3時間ほど見学しに来た時には、地下聖堂の、小さなチャペルがたくさんある空間にも入ってみたけれども、時間がなくて十分に見ることができなかった。ひとつの建物なのに、それだけ見どころがある。


こんな特別な場所でクリスマスキャロルが聴けること自体が感動的な体験なのに、それに加えてクリスマスキャロル自体も本当に素晴らしかった。ボーイズソプラノの透き通った声と、温かみのある何重もの合唱。天井の高さが何十メートルもありそうな大聖堂の空間全体にこのハーモニーが響き渡って、声が空から降ってくるような不思議な体験。参加者も所々では合唱団と一緒になって歌う。自身はクリスチャンでは全くないけれど、信教がなんであろうと、この空間にいるだけで神聖な気持ちにさせてくれる。こんな場に巡り合えることを幸運に思った。

因みに、クリスマスキャロルの式典中には写真撮影は禁止されていたので、ここには式典後の大聖堂内部の写真、そして外にある大きなクリスマスツリーの写真を貼っておきました。こうしてみるとクリスマスツリーは小さく見えるけれど、大聖堂が巨大なだけで、クリスマスツリーも実は相当の大きさがある。

もう1点、気付いたこと。クリスマスキャロルの英語の歌詞カードが配られて読んでみると、すべてキリストの生誕を祝う歌。日本ではほとんど認識されることはないけれども、ここイギリスでは、クリスマスはちゃんと、キリストの生誕を祝福するお祭りだった。

小笠原を振り返って

小笠原を引き上げたのは今年の8月8日、もう4か月も前の話。あれからこの方、小笠原から内地に引っ越して、今度は内地から留学先のイギリスに引っ越して、落ち着いたと思ったら毎日深夜まで宿題やら読まなきゃいけない論文やらに追われる毎日。そんなこんなでブログの更新もすっかり滞っていたけれど、年末で少し落ち着いたこの際に、小笠原の去り際をちょっと振り返ってみようと思う。

小笠原では何よりも友人に恵まれて、お陰さまでとても充実した2年半を過ごすことができた。下は、引き上げのおがさわら丸に乗りこむ直前の見送りの様子。真ん中の青い服を着た東南アジア系のルックスの青年がやっそ、その右手の笑顔の素敵な女性が今年6月に結婚したやっその奥さん、二人の間の奥のほうにチラリと見えるのが、やっそのいちばんの遊び友達だったハハさん。左手の赤いタンクトップのワルそうなおっさんが写真家のマナさん、そして奥からシワクチャのいい笑顔を覗かせているのが元板前さんのジロウさん。よく夜にうちに招いて、ある時はお宅に呼んでもらって、魚やら何やらおいしいご飯を食べながらおいしいお酒を飲んで楽しく過ごした大切な友人たち。頭や首に巻いているハイビスカスやプルメリアの花のレイは、ここには写っていない友人たちから贈ってもらった素敵なプレゼント。小笠原時代には一緒に楽しい時間をともにして、本当にお世話になって、こんなふうに送り出してもらえるのがとてもうれしかった。こんなにいろんな人からいただいた恩を、小笠原にいる間にちゃんと返すことができたかな。


小笠原は東京から船で25時間半、ほんとに遠い島。船から去りゆく島影を見ながら、また来るね、と胸の中でつぶやいた。そして、また来ることはできても、海も気候も、そして人も温かいこの島で、同じようなゆっくりと楽しい時間を同じ人たちと過ごすことはもうないんだろうなと思って少しさびしかった。小笠原を引き上げるときには、悲しみで涙を流しながら手を振ってお別れというのが定番なんだけど、友人たちから温かい気持ちを受け取って、船が出港したあとも、無人島で仕事をするときにいつも船で渡してもらうのにお世話になったジョージさんが、いつものボートでおがさわら丸にギリギリまで近づいて「元気でなー」って叫んでくれて、悲しさやさびしさよりも嬉しさが勝って、全く涙が出なかった。みんな、ほんとうにありがとう。

あと想い出深い写真を何点か。



これは今年の7月22日に見た皆既日食。全世界的に、こんな見事な皆既日食が見られたのは小笠原近辺海域だけのよう。しかも、こんな皆既日食を、真っ青な透き通る海のど真ん中で、向かう途中にイルカのお出迎えにも会いながら見ることができたのは最高の思い出。


あと、これは出発前日に奥さんと一緒に小港で撮った写真。小港は、広々していて包み込むような温かさのある場所で、お気に入りの暇つぶしスポットだった。めったに波が入ることはないけれど、石やサンゴが少なくて、どシロウトサーファーのやっそにとってはケガの心配なく安心して入れるお気に入りのサーフスポットでもあった。

こんな素敵な小笠原から引き上げて、今は冬の底冷えがするイギリスのカンタベリーで大学院生の生活を送っている。もはや透明な海には囲まれていないけれども、もうしばらく、このタイトルで投稿を続けさせてもらおうと思ってます。

2009年12月11日金曜日

ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿vol.4(最終回)

さて、もう前回の投稿から3カ月も過ぎてしまいましたが、この間、やっそは小笠原を引き上げて、実は今はイギリスで大学院留学中。仕事に遊びに充実していた小笠原を引き上げるのは後ろ髪を引かれる思いでしたが、今後途上国で環境の仕事をするためのステップアップのために猛勉強中です。

こんな中途半端なタイミングですが、ヒマラヤ保全協会の投稿記事の最終回を投稿したので、今回はそれを掲載しておきます。
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マラウイ、ネパール、そして小笠原。
3つの地域を比較してみえてくるもの
第4回(最終回) 実効性のある環境保全活動の考え方

今まで3回の議論を踏まえると、マラウイ湖国立公園、ネパール山間部及び小笠原の3地域には、人と自然との関わり合いや環境問題について三者三様の事情があることが分かります。では、保全活動の考え方は、この3つの地域ですべて異なるのでしょうか?否、活動の内容はそれぞれ違うにしろ、根本の考え方には共通点があります。それは、行政や環境保全団体のニーズではなく、地元住民のニーズに合った活動を、地元が主体になって長期的に展開する、という点です。

マラウイ湖国立公園での問題の根本は、国立公園内の村々の人口増加と、それに伴う食糧・エネルギー資源の不足。この解決策は至ってシンプル。人口増加の抑制と代替資源の供給です。これが地元のニーズで、言うは易し行うは難し、ではありますが、ゴールを設けて地道に取り組むしか、国立公園内の自然を守る手立てはありません。

マラウイ湖国立公園での違法な薪採集

ネパール山間部では、エネルギー資源や家畜飼料としての森林利用のために、集落周辺か辺縁部へと森林が徐々に衰退しています。NGOヒマラヤ保全協会(IHC)がプロジェクトを展開する村々では、苗畑と植林の地道な活動が実って、資源供給源が確保され、状況が改善されています。これは、IHC元会長の故川喜多二郎先生による徹底した地元住民のニーズ調査に端を発し、地元のIHCN(ネパール現地事務所)との長い協働を通して成し遂げられたもので、細々とした問題はあるにしても、途上国における環境協力のお手本といえるものだと思います。

キバン村の植林地

小笠原では、実生活と自然環境とのつながりが弱いために、特に陸域に関しては住民の関心が低く、例えば捨てネコがアカガシラカラスバトなどの固有種を脅かすなど、人為起源の外来種問題が顕著です。この場合、地元住民には潜在的な情報のニーズがあります。具体的には、固有種について、地元住民への見せ方、伝え方を工夫して、世界で小笠原だけにある宝物という意識を育てること、そして宝を守るために住民が注意すべきことを普及させることが重要です。

ビジターセンターにおける展示

自然環境にまつわる問題の本質は、人々の自然環境へのかかわり方にあります。従ってその改善のためには、野生対象の調査・研究だけでは限界があり、人々のニーズを把握した上で、自然環境との共生関係を築くことに注力する必要があります。