2009年12月11日金曜日

ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿vol.4(最終回)

さて、もう前回の投稿から3カ月も過ぎてしまいましたが、この間、やっそは小笠原を引き上げて、実は今はイギリスで大学院留学中。仕事に遊びに充実していた小笠原を引き上げるのは後ろ髪を引かれる思いでしたが、今後途上国で環境の仕事をするためのステップアップのために猛勉強中です。

こんな中途半端なタイミングですが、ヒマラヤ保全協会の投稿記事の最終回を投稿したので、今回はそれを掲載しておきます。
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マラウイ、ネパール、そして小笠原。
3つの地域を比較してみえてくるもの
第4回(最終回) 実効性のある環境保全活動の考え方

今まで3回の議論を踏まえると、マラウイ湖国立公園、ネパール山間部及び小笠原の3地域には、人と自然との関わり合いや環境問題について三者三様の事情があることが分かります。では、保全活動の考え方は、この3つの地域ですべて異なるのでしょうか?否、活動の内容はそれぞれ違うにしろ、根本の考え方には共通点があります。それは、行政や環境保全団体のニーズではなく、地元住民のニーズに合った活動を、地元が主体になって長期的に展開する、という点です。

マラウイ湖国立公園での問題の根本は、国立公園内の村々の人口増加と、それに伴う食糧・エネルギー資源の不足。この解決策は至ってシンプル。人口増加の抑制と代替資源の供給です。これが地元のニーズで、言うは易し行うは難し、ではありますが、ゴールを設けて地道に取り組むしか、国立公園内の自然を守る手立てはありません。

マラウイ湖国立公園での違法な薪採集

ネパール山間部では、エネルギー資源や家畜飼料としての森林利用のために、集落周辺か辺縁部へと森林が徐々に衰退しています。NGOヒマラヤ保全協会(IHC)がプロジェクトを展開する村々では、苗畑と植林の地道な活動が実って、資源供給源が確保され、状況が改善されています。これは、IHC元会長の故川喜多二郎先生による徹底した地元住民のニーズ調査に端を発し、地元のIHCN(ネパール現地事務所)との長い協働を通して成し遂げられたもので、細々とした問題はあるにしても、途上国における環境協力のお手本といえるものだと思います。

キバン村の植林地

小笠原では、実生活と自然環境とのつながりが弱いために、特に陸域に関しては住民の関心が低く、例えば捨てネコがアカガシラカラスバトなどの固有種を脅かすなど、人為起源の外来種問題が顕著です。この場合、地元住民には潜在的な情報のニーズがあります。具体的には、固有種について、地元住民への見せ方、伝え方を工夫して、世界で小笠原だけにある宝物という意識を育てること、そして宝を守るために住民が注意すべきことを普及させることが重要です。

ビジターセンターにおける展示

自然環境にまつわる問題の本質は、人々の自然環境へのかかわり方にあります。従ってその改善のためには、野生対象の調査・研究だけでは限界があり、人々のニーズを把握した上で、自然環境との共生関係を築くことに注力する必要があります。

2009年9月30日水曜日

ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿vol.3

またまた間が空いてしまいましたが、ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿の第3段を掲載します。
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エコツーリズムとは何なのか、それを一見して教えてくれる例がマラウイ湖国立公園にはあった。公園内、湖に面して長いビーチを持つチェンベ村は風光明媚な観光地。そのビーチに沿って、村人の住まいを押しのけてロッジが増えつつあった。村には水道はなく、入浴や洗濯などは全て湖の水頼みで、浜辺は重要な生活の場。それが、ロッジが増えることにより次々に狭められていた。住民は引き換えにどれだけのものを得ていたのだろうか?現金の必要に迫られて土地を売るのかもしれないが、得られるお金は一時的なもの、残るのはロッジ清掃や簡素な民芸品販売の仕事くらい、釣り合いが取れているようには思えない。

ビーチで網をほどく子供たち

沖合に目を転じると、無人島に、森になじむ素朴なロッジがあった。島へのアクセスはカヤック。地元のガイドが同伴し、島のガイドや食事の面倒まで見てくれる。ロッジが島を借り上げた賃借料は国立公園に収められ、島の周りの手つかずの自然を守るために使われる。何よりも、村人を雇い、ガイドに養成して継続的な雇用を生み出し、彼ら自身も周りの自然の価値を知る良い機会になる。観光客は地元ガイドの紹介でありのままの自然を楽しみ、それが地元には持続的な雇用と環境を守るための資金をもたらし、地元の人々が地域のもつ自然の価値を認識するきっかけを与える。これが、エコツーリズム。

小笠原では、太古の昔から変わらない自然の営み、イルカや冬に訪れるザトウクジラ、固有種溢れる森、それを取り巻く美しい景観を求めて観光客がやってくる。生の自然が売りの小笠原では自然ガイドに携わる人は多く、訪れる人が自然を楽しみ理解する工夫、観光利用により自然を損なわないルールづくりなどの取り組みを進めている。

小笠原のエコツアーのメッカ南島

ネパールについては、4年ほど前、調査に巡ったアウロやナルチャンなどの村々の、個性ある家並みや整った石畳の道、そこから眺めるアンナプルナの美しい山並み、そして地元の方々の温かさが忘れられない。こんな素の自然や人々との交流を楽しむエコツアーをヒマラヤ保全協会も進めているが、このような活動が広がり、より多くの人々がネパールの良さを知り、それが、村々の素敵な文化や自然が守られつつ発展する、良い流れに繋がることを願っている。

シーカ村の家並み越しに見えるマチャプチャレ

2009年8月23日日曜日

ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿vol.2

またずいぶんと間が空いてしまいましたが、ヒマラヤ保全協会会報への投稿原稿の第2弾です。
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今回は、前回お話したマラウイ、ネパールそして小笠原における人と自然との結びつきを踏まえて、この3地域の環境問題を比較し、環境問題の変遷を眺めてみます。

はじめに、「環境」というコトバの意味を確認します。「環境」とは、たとえば生態学者によって「外的要素の総和」などと説明されるように、中心人物がいて、その周辺で中心人物を支えている要素を合わせたものという解釈があります。これを踏まえると、私たちにとっての環境とは、私たちを取り囲み、私たちを支えてくれているもの、価値のあるものの集合です。

ただ、「私たち」と言っても、住む地域の文化や生活水準によって価値観は様々ですから、地域によって「環境」の認識は異なり、従って「環境問題」の質は異なります。では、マラウイ、ネパール、小笠原で「環境問題」はどのように異なるのでしょうか。

マラウイ湖国立公園では、人々の生活が自然に強く依存している状況の中で、人口が増え、料理や魚の燻製を作るのに必要な薪を採り過ぎて林が再生しなくなり、薪採りができなくなるだけではなく、降雨が地面にしみ込まなくなって雨期に洪水が増える、乾季には水が枯れて畑の作物が実らなくなるなど、人々の生活に直結する環境問題が深刻です。

国立公園内にも関わらず、集落近くの森はことごとく伐採されている

ネパールの農山村ではマラウイ同様の森林劣化が広くみられるようですが、出稼ぎ増加による人口圧の減少、IHCなどの植林活動により一部の地域では改善しつつあります。一方ではプラスチック製品の普及に伴うゴミ問題、カリガンダキ川沿いの自動車道路建設に伴う地水環境の変化やその住民生活への影響が心配されるなど、発展に伴う環境問題の多様化がみられます。

カリガンダキ川沿いに延びる自動車道路

そして小笠原。島民生活が、内地からおがさわら丸によって運ばれてくる物資でほとんど賄われているために、人々の生活の自然への依存がないに等しく、大規模な開発も落ち着いた中で、今は生物多様性の問題が注目されています。これは小笠原という海洋島独特の問題でもありますが、この地で独自に進化した固有種の多い生態系に、人が持ち込んだヤギやネズミなどの外来種が入り込み、その影響で多くの種が絶滅の危機に瀕していることを問題とするものです。

小笠原・母島だけに見られる固有種のひとつ、ワダンノキ

以上、発展の程度に沿って環境問題を眺めてみましたが、発展に伴い人々の視野が広がり、環境問題は人々の生活に直結するものから周辺的なものへと変遷する傾向があるようです。

発展に伴う環境問題の変遷のイメージ

2009年5月20日水曜日

戦争の爪痕

前の投稿から1か月経って、ようやく新しい投稿をする余裕ができた。
今回はちゃんとネタがあるので、ヒマラヤ保全協会会報への投稿記事はまた次の機会ということにして、新しいネタを披露します。

近頃、また現場仕事が増えている。
この島で、山に入って調査をしていると、どこへ行っても、100%、戦争の遺構に遭遇する。それは、昔の軍道沿いに建てられた電信柱の残骸であったり、防空壕であったり、上陸戦に備えた塹壕であったり、爆撃で地面に空いたすり鉢状の穴だったり、周囲に散乱する弾丸であったり。

その中で、今回はひときわ印象に残るものに遭遇した。


とある山のてっぺんに、2年前に訪れた時からの植生の変化を観察してみようと行ってみたら、半円形の細長い窓のある、ドーム状のトーチカを発見した。そのきれいな形状に惹かれて中を覗いてみると、何やら奥のほうから光が射している。もしや、裏側から入れるのでは…。そう期待して回ってみると…。
入口に続く道を発見!

さらにそこを辿ってみると…
あったあった、これが入口。

中に入ってみると…
なんともきれいに整えられたドーム状の空間。まんなかの円柱状の台が、このトーチカに据えられた機関銃の台座だったのだろう。以前、板長という戦跡ガイドさんに連れられて別の戦跡に入ったときのことを思い出した。戦時中、日本軍は民間人を兵隊として駆り出すとき、もともとの職業を考慮して、例えばトーチカの設営には左官職人を送り込んだそうだ。戦後60年以上経ってこれほどきれいに残っているとは、この職人さんの腕の良さには感服するばかり。

ここから外を覗いてみると…180度、水平線が見渡せる。
当時、兵隊さん達は何を思ってここから水平線を眺めていたのだろうか。

近くを歩いていると、機銃の弾丸なのだろうか、直径1.5センチ、長さ8センチほどのひしゃげた弾丸が転がっていた。戦闘機から撃ち放たれた機銃の弾丸が、岩に直撃したのだろうか。その瞬間を思い起こさせる、生々しい落し物。
今度は、お弁当を食べていると足もとに小さな銃弾が。これは薬莢もセットになっているから、使われていない銃弾なのだろう。兵隊さんが銃に弾を込めながら、ポロリと銃弾をこぼして「おっと」とたじろいでいる姿を勝手に想像した。
小笠原にいると、戦争は歴史の中の断片ではなくて、僕たち日本人が歩いてきた道のりのちょっと前の地点に、連続して存在していることを実感する。

小笠原の街はなかなか発展しない。なぜかというと、土地の流動性がとても低く、今という時代に合わせてうまく土地を使うことができないから。地主がだれかわからない、わかっても島にはおらず、内地のどこにいるのかわからない、連絡がとれないことが多いそうだ。戦時中の強制疎開で、国の都合でこの地を離れ、小笠原が日本に返還されるまでの20年以上の間に疎開先に定着した人もいたのだろう。国の都合で故郷を奪われた人々によって残された土地を、新しい時代の都合で開発することはできないということなのだろうか。こんな形で、おとしまえがつけられていない、後を引く戦争の爪痕を感じる。

2009年4月15日水曜日

NPOヒマラヤ保全協会会報への投稿記事

年度末をあふれた仕事のために、3週間ばかり上京して本社に缶詰になっていて、本日、父島に戻りました。

それでネタを切らしているので、去年から僕の所属するNPOヒマラヤ保全協会(ここ最近はすっかり幽霊会員なのですが・・・)の会報に投稿している記事のバックナンバーを掲載させてもらいたいと思います。このコラムでは、僕が協力隊で派遣されて2年間を過ごしたマラウイのマラウイ湖国立公園、ヒマラヤ保全協会のボランティアスタッフで訪れたネパール山奥の村々、そして小笠原の3つの地域を比較して見えてくるものについて、あーだこーだ書いています。長いです。

では、始まりです。

◆◆マラウイ、ネパール、そして小笠原、3つの地域を比較してみえてくるもの◆◆

―第1回 人の生活と自然との結びつき―

美しい自然に囲まれながらも不便極まる3つの地域:アフリカのマラウイ湖国立公園、ネパールの農山村、そして日本の小笠原。本コラムでは、著者が滞在経験のある3つの地域について、ひとつの軸の上に並べて、そして毎回異なった視点から光を当てながら、人と自然とのかかわりについて論じてみたいと思います。第1回の今回は、人の生活と自然との結びつきをテーマにします。

マラウイ湖国立公園は、アフリカ南東部、巨大な淡水湖であるマラウイ湖の南端に位置し、ミオンボと呼ばれる灌木林と湖に囲まれて現地の人々の暮らす村が点在しています。村人の生業は漁業と農業が中心。水揚げされた魚は保存のため燻製にされ、都市に出荷されて多少の現金収入に換えられていますが、農業については、国立公園に囲まれているために猫の額ほどの農地しかなく、生産量は自給に満たない程度。当時電気やガスはなく、調理用と燻製用の燃料は、国立公園の山林から採集してくる薪に頼っていました。

マラウイ湖国立公園

ここから人の生活と自然との結びつきを論じるにあたり、人による管理の手が入らない土地の範囲を「自然」とよび、それに対して、居住地や農地等、常日頃から人による管理の手が入っている土地の範囲を「生活圏」とよぶことにします。

マラウイ湖国立公園に点在する村々では、村人の現金収入は少なく、生活に必要な食糧やエネルギー源の多くを周辺の自然、すなわち湖や国立公園の山林から得る必要があるために、人々の生活の自然への依存度が非常に高い。そのため、生活圏と自然が密接し、人の生活と自然との結びつきが非常に強い傾向があります。

マラウイでは人の生活と自然との結びつきが強い

ネパールの山奥、ヒマラヤ保全協会が植林等のプロジェクトの対象としている村々は、車道の終点から急峻な山道を幾ばくか歩いて行かねばならず、アクセスが非常に悪い。村人の生業は農業が中心。居住地の周囲には棚田や段々畑が広がり、作物は自給目的のものが多い。現金収入といえば、昔の軍役の年金や主人の出稼ぎで得ているものが多くを占め、働いて現金収入を得られるような場所はほとんどありません。

ネパールの山村によく見られる段々畑

農地の周囲には、ヒマラヤ保全協会と村人が20年来活動した成果である雑木林が広がっています。料理や暖をとるのに使う薪、家の建設等に使う材木等々、生活に必要な資源の多くをこの雑木林から得ているようでした。

ここに、先ほどの「生活圏」と「自然」に加えて、人が粗放的に育成、管理する自然としての山林、いわば「二次的自然」という概念が出てきます。ネパールの農山村では生活と自然との間に二次的自然が介在し、人々の生活はこの二次的自然に強く依存しています。

ネパールでは二次的自然への依存が強い

そして小笠原。東京から太平洋上を南におよそ千キロ、航空路はなく、週一便、片道25時間半を要するおがさわら丸が唯一の交通手段。国立公園に囲まれているために、現在生産活動を行っている農地の面積は非常に小さく、食料の自給率は著しく低い。食品のほかエネルギー源のプロパンガスや火力発電用の重油等々、生活に必要な物資のほとんどは千キロの海を越えて運ばれてきます。ここには、人の衣食住を満たすという観点からは、人の生活と自然との結びつきはないに等しい。

小笠原(父島二見湾)

小笠原では人の生活の自然への依存がほとんどない

以上に述べてきた、マラウイ湖国立公園、ネパールの農山村、そして小笠原の3つの地域について、人の生活と自然との結びつきの強さを軸にとり、3つの地域を比べてみると、下図のように表現することができます。

2009年3月11日水曜日

コメントの表示のしかた

ここ最近、珍しく(笑)コメントをたくさん頂いているのですが、
「書いたコメントがブログ画面上でうまく見れない!」
というようなご不便はありませんか?

このブログサイトは、そのあたりが不便なのです。

そんなときは、コメント投稿先、もとのブログ記事のタイトルをクリックしてください。
そうすると、ブログ記事の下に、コメントが連なって表示されるようになります。

毎度ご不便をおかけしますが、これからもよろしくお願いします。

2009年3月2日月曜日

奇跡のような休日

冬型の気圧配置も緩んで春の兆し。
天気よく海もよいので今年初のダイビングに行くことにした。この時期は寒いし水が冷たいけれども、小笠原諸島近海に繁殖に訪れるザトウクジラが見られるという素敵なオプションが付く。

出港後間もなく、クジラの母と子を発見、船長判断で、ダイビングはひとまずおいといて、今日の午前中半日、のんびりとこのクジラを観察することにした。子はちょっと薄い黒、グレーに近い色だったからグレ子と命名、一緒にいる母親らしきクジラは真黒だからクロ子と命名、その行動をゆっくりと追った。

水面に鼻を出して、バシュッとブローを上げたり、頭を水上に出して辺りを見回す「スパイホップ」という行動をとったり、時には勢いよくジャンプ、水上にその巨体がすべて顕わになるような豪快なジャンプ「ブリーチング」までも見せてくれた。この母子の行方には、他のクジラたちも集まっている様子、一時は船がクジラたちに囲まれて身動きが取れなくなることも…。

他のクジラたちに翻弄されながらも、尾ビレの模様を頼りになんとかグレ子とクロ子を見つけ出し、さらに観察を継続。

すると…。
いつの間にかグレ子やクロ子が船に寄り添うように接近、見失ったと思ったら船の下をくぐって反対側に出たり、また戻ったり。体長14メートルほどもある巨大な体、獣の声の入り混じった、バシュッというブローを至近距離で体感するのには恐怖と感動が半々。

運良く、水中から見ることもできた。この瞬間、時が止まる。神々しさを感じる。ぶつけられたら身が危ないという危機感、大きさの迫力に圧倒され、人間の存在の小ささを実感する。


そんな素敵なクジラとの出会いがあった後には、今が旬のアオリイカが釣れ、戻ってからさばいて食べた。旨かった。


小笠原には、こんな奇跡のような休日がある。