2009年5月20日水曜日

戦争の爪痕

前の投稿から1か月経って、ようやく新しい投稿をする余裕ができた。
今回はちゃんとネタがあるので、ヒマラヤ保全協会会報への投稿記事はまた次の機会ということにして、新しいネタを披露します。

近頃、また現場仕事が増えている。
この島で、山に入って調査をしていると、どこへ行っても、100%、戦争の遺構に遭遇する。それは、昔の軍道沿いに建てられた電信柱の残骸であったり、防空壕であったり、上陸戦に備えた塹壕であったり、爆撃で地面に空いたすり鉢状の穴だったり、周囲に散乱する弾丸であったり。

その中で、今回はひときわ印象に残るものに遭遇した。


とある山のてっぺんに、2年前に訪れた時からの植生の変化を観察してみようと行ってみたら、半円形の細長い窓のある、ドーム状のトーチカを発見した。そのきれいな形状に惹かれて中を覗いてみると、何やら奥のほうから光が射している。もしや、裏側から入れるのでは…。そう期待して回ってみると…。
入口に続く道を発見!

さらにそこを辿ってみると…
あったあった、これが入口。

中に入ってみると…
なんともきれいに整えられたドーム状の空間。まんなかの円柱状の台が、このトーチカに据えられた機関銃の台座だったのだろう。以前、板長という戦跡ガイドさんに連れられて別の戦跡に入ったときのことを思い出した。戦時中、日本軍は民間人を兵隊として駆り出すとき、もともとの職業を考慮して、例えばトーチカの設営には左官職人を送り込んだそうだ。戦後60年以上経ってこれほどきれいに残っているとは、この職人さんの腕の良さには感服するばかり。

ここから外を覗いてみると…180度、水平線が見渡せる。
当時、兵隊さん達は何を思ってここから水平線を眺めていたのだろうか。

近くを歩いていると、機銃の弾丸なのだろうか、直径1.5センチ、長さ8センチほどのひしゃげた弾丸が転がっていた。戦闘機から撃ち放たれた機銃の弾丸が、岩に直撃したのだろうか。その瞬間を思い起こさせる、生々しい落し物。
今度は、お弁当を食べていると足もとに小さな銃弾が。これは薬莢もセットになっているから、使われていない銃弾なのだろう。兵隊さんが銃に弾を込めながら、ポロリと銃弾をこぼして「おっと」とたじろいでいる姿を勝手に想像した。
小笠原にいると、戦争は歴史の中の断片ではなくて、僕たち日本人が歩いてきた道のりのちょっと前の地点に、連続して存在していることを実感する。

小笠原の街はなかなか発展しない。なぜかというと、土地の流動性がとても低く、今という時代に合わせてうまく土地を使うことができないから。地主がだれかわからない、わかっても島にはおらず、内地のどこにいるのかわからない、連絡がとれないことが多いそうだ。戦時中の強制疎開で、国の都合でこの地を離れ、小笠原が日本に返還されるまでの20年以上の間に疎開先に定着した人もいたのだろう。国の都合で故郷を奪われた人々によって残された土地を、新しい時代の都合で開発することはできないということなのだろうか。こんな形で、おとしまえがつけられていない、後を引く戦争の爪痕を感じる。

2009年4月15日水曜日

NPOヒマラヤ保全協会会報への投稿記事

年度末をあふれた仕事のために、3週間ばかり上京して本社に缶詰になっていて、本日、父島に戻りました。

それでネタを切らしているので、去年から僕の所属するNPOヒマラヤ保全協会(ここ最近はすっかり幽霊会員なのですが・・・)の会報に投稿している記事のバックナンバーを掲載させてもらいたいと思います。このコラムでは、僕が協力隊で派遣されて2年間を過ごしたマラウイのマラウイ湖国立公園、ヒマラヤ保全協会のボランティアスタッフで訪れたネパール山奥の村々、そして小笠原の3つの地域を比較して見えてくるものについて、あーだこーだ書いています。長いです。

では、始まりです。

◆◆マラウイ、ネパール、そして小笠原、3つの地域を比較してみえてくるもの◆◆

―第1回 人の生活と自然との結びつき―

美しい自然に囲まれながらも不便極まる3つの地域:アフリカのマラウイ湖国立公園、ネパールの農山村、そして日本の小笠原。本コラムでは、著者が滞在経験のある3つの地域について、ひとつの軸の上に並べて、そして毎回異なった視点から光を当てながら、人と自然とのかかわりについて論じてみたいと思います。第1回の今回は、人の生活と自然との結びつきをテーマにします。

マラウイ湖国立公園は、アフリカ南東部、巨大な淡水湖であるマラウイ湖の南端に位置し、ミオンボと呼ばれる灌木林と湖に囲まれて現地の人々の暮らす村が点在しています。村人の生業は漁業と農業が中心。水揚げされた魚は保存のため燻製にされ、都市に出荷されて多少の現金収入に換えられていますが、農業については、国立公園に囲まれているために猫の額ほどの農地しかなく、生産量は自給に満たない程度。当時電気やガスはなく、調理用と燻製用の燃料は、国立公園の山林から採集してくる薪に頼っていました。

マラウイ湖国立公園

ここから人の生活と自然との結びつきを論じるにあたり、人による管理の手が入らない土地の範囲を「自然」とよび、それに対して、居住地や農地等、常日頃から人による管理の手が入っている土地の範囲を「生活圏」とよぶことにします。

マラウイ湖国立公園に点在する村々では、村人の現金収入は少なく、生活に必要な食糧やエネルギー源の多くを周辺の自然、すなわち湖や国立公園の山林から得る必要があるために、人々の生活の自然への依存度が非常に高い。そのため、生活圏と自然が密接し、人の生活と自然との結びつきが非常に強い傾向があります。

マラウイでは人の生活と自然との結びつきが強い

ネパールの山奥、ヒマラヤ保全協会が植林等のプロジェクトの対象としている村々は、車道の終点から急峻な山道を幾ばくか歩いて行かねばならず、アクセスが非常に悪い。村人の生業は農業が中心。居住地の周囲には棚田や段々畑が広がり、作物は自給目的のものが多い。現金収入といえば、昔の軍役の年金や主人の出稼ぎで得ているものが多くを占め、働いて現金収入を得られるような場所はほとんどありません。

ネパールの山村によく見られる段々畑

農地の周囲には、ヒマラヤ保全協会と村人が20年来活動した成果である雑木林が広がっています。料理や暖をとるのに使う薪、家の建設等に使う材木等々、生活に必要な資源の多くをこの雑木林から得ているようでした。

ここに、先ほどの「生活圏」と「自然」に加えて、人が粗放的に育成、管理する自然としての山林、いわば「二次的自然」という概念が出てきます。ネパールの農山村では生活と自然との間に二次的自然が介在し、人々の生活はこの二次的自然に強く依存しています。

ネパールでは二次的自然への依存が強い

そして小笠原。東京から太平洋上を南におよそ千キロ、航空路はなく、週一便、片道25時間半を要するおがさわら丸が唯一の交通手段。国立公園に囲まれているために、現在生産活動を行っている農地の面積は非常に小さく、食料の自給率は著しく低い。食品のほかエネルギー源のプロパンガスや火力発電用の重油等々、生活に必要な物資のほとんどは千キロの海を越えて運ばれてきます。ここには、人の衣食住を満たすという観点からは、人の生活と自然との結びつきはないに等しい。

小笠原(父島二見湾)

小笠原では人の生活の自然への依存がほとんどない

以上に述べてきた、マラウイ湖国立公園、ネパールの農山村、そして小笠原の3つの地域について、人の生活と自然との結びつきの強さを軸にとり、3つの地域を比べてみると、下図のように表現することができます。

2009年3月11日水曜日

コメントの表示のしかた

ここ最近、珍しく(笑)コメントをたくさん頂いているのですが、
「書いたコメントがブログ画面上でうまく見れない!」
というようなご不便はありませんか?

このブログサイトは、そのあたりが不便なのです。

そんなときは、コメント投稿先、もとのブログ記事のタイトルをクリックしてください。
そうすると、ブログ記事の下に、コメントが連なって表示されるようになります。

毎度ご不便をおかけしますが、これからもよろしくお願いします。

2009年3月2日月曜日

奇跡のような休日

冬型の気圧配置も緩んで春の兆し。
天気よく海もよいので今年初のダイビングに行くことにした。この時期は寒いし水が冷たいけれども、小笠原諸島近海に繁殖に訪れるザトウクジラが見られるという素敵なオプションが付く。

出港後間もなく、クジラの母と子を発見、船長判断で、ダイビングはひとまずおいといて、今日の午前中半日、のんびりとこのクジラを観察することにした。子はちょっと薄い黒、グレーに近い色だったからグレ子と命名、一緒にいる母親らしきクジラは真黒だからクロ子と命名、その行動をゆっくりと追った。

水面に鼻を出して、バシュッとブローを上げたり、頭を水上に出して辺りを見回す「スパイホップ」という行動をとったり、時には勢いよくジャンプ、水上にその巨体がすべて顕わになるような豪快なジャンプ「ブリーチング」までも見せてくれた。この母子の行方には、他のクジラたちも集まっている様子、一時は船がクジラたちに囲まれて身動きが取れなくなることも…。

他のクジラたちに翻弄されながらも、尾ビレの模様を頼りになんとかグレ子とクロ子を見つけ出し、さらに観察を継続。

すると…。
いつの間にかグレ子やクロ子が船に寄り添うように接近、見失ったと思ったら船の下をくぐって反対側に出たり、また戻ったり。体長14メートルほどもある巨大な体、獣の声の入り混じった、バシュッというブローを至近距離で体感するのには恐怖と感動が半々。

運良く、水中から見ることもできた。この瞬間、時が止まる。神々しさを感じる。ぶつけられたら身が危ないという危機感、大きさの迫力に圧倒され、人間の存在の小ささを実感する。


そんな素敵なクジラとの出会いがあった後には、今が旬のアオリイカが釣れ、戻ってからさばいて食べた。旨かった。


小笠原には、こんな奇跡のような休日がある。

2009年2月1日日曜日

世界遺産展@小笠原ビジターセンター

できました!世界遺産展@小笠原ビジターセンター。
小笠原の世界遺産としての価値や登録に向けた取り組みについて、子どもも含めて多くの人に知ってもらい、理解を深めてもらうための展示を、昨年の秋ごろから東京都の委託で作っていて、ようやく日の目を見る日がきました!

イラストやデザインを担当したイラストレーターHABAAlisaさんの仕事が素晴らしくて、予想以上に良いものができました。

小笠原の世界遺産としての価値というのは、実はとてもわかりにくい。みなさんが小笠原といってイメージするようなイルカやクジラではなくて、ボニナイトという地球上で稀な岩石の存在だとか、島に住む小さなカタツムリのなかまだとか、その学術的な価値をもって世界遺産に登録しようとしている。

「学術的な」という言葉が出てきた瞬間に拒否反応を示す人も大勢いると思うのですが、特に南の島小笠原の住人にはそういう人が多い。そんな人にも興味を持ってもらえるように、理解してもらえるように、ビジュアルでイメージが伝わるようなイラストをたくさん使って、実物大の写真や標本を使って、ちょっとでもその価値に親しみをもってもらえるように作りました。




自己満足に終わらないように、ご覧になった方の意見も集めつつ、その成果を振り返っていきたいと思っています。

これから小笠原にいらっしゃる方、ぜひビジターセンターを訪れて、この展示を見て、わかりにくい(笑)小笠原の学術的な価値などを勉強してみてください。

因みに、イラストレーターのHABAAlisaさんはやっその大学の部活の後輩、ユーモラスなオリジナルイラストがたくさん入ったブログ「毎日オエカキ新聞」(http://my.opera.com/HABAAlisa/blog/)をいつも見させてもらっていて、その腕前に惚れ込んでこの仕事のイラストをお願いしました。お願いしてよかった、HABAAlisaさん、いろいろと苦労をかけたけどありがとう!

音楽の島

ちょっと前の話になるが、1月の中旬、佐藤公淳さんというニューヨークで活動中のテナーサックス奏者と、Kevin McHugh(ケビン・マキュー)という同じくニューヨークで活動中のジャズピアニストが島に来て、その間、島は音楽に沸いていた。この二人が島にいる間、夜な夜などこかのレストランやバーでジャズの生演奏があり、昼間には街角で流しなんかもあったみたい。メインイベントは1月16日に開かれた、福祉センターホールでの生セッション。

前半は、噂をききつけた島の人が100人ほども押し寄せて大賑わい、後半は人が減ったところで、やっそは前の席に陣取ってしんみりと聴いていた。公淳さんの、息づかいが聞こえるようなやわらかくやさしいサックスの音色に、ケビンのオリジナリティあふれるピアノの旋律の調和やかけ合い。オリジナル曲も数多くあり、完全アドリブもあり。本当に素晴らしくて、どう表現していいかわからないけれど、とにかくこんなに素晴らしい音楽が、この絶海の孤島小笠原で生で聴けること、さらにその奏者がニューヨークからはるばるやってきていることに感激。そしてこの場に居合わせることができたことに幸せを感じる。


ところで、公淳さんは実は小笠原リピーターで今回は3回目。この方は、実は目が見えない。1回目は十数年前、2回目は一昨年、そして今回が3回目。1回目に来た時にはまだ音楽にのめり込む前、そしてこの時には目が見えていた。今は、その時の記憶と人から聞く話、そして音を頼りに小笠原の景色を想像しているとのこと。目の見える人間からしてみれば想像を絶する苦労を乗り越えて、こうやって島に来て素晴らしい演奏を聴かせてくれることに感謝するばかり。そして、こうやって何度も来てくれる人の繋がりがあることが、この島の素晴らしいところ。

ついでに、この日の夕暮の写真を貼り付けておきます。

2009年1月12日月曜日

コメントくれた方々へ

今までこのブログにコメントくれた人たち、本当にありがとう、そしてすみません。
ブログサイトの特性なのか、設定がうまくいっていないせいなのか、コメントが書き込みにくかったり、表示されなかったり、管理者から確認しにくかったりで、コミュニケーションが全く成り立っていない状態がずっと続いてます。この問題、以前からわかっていて、なんとかしようと設定をいじっているんですが、今のところ解決策が見えてきません。もうちょっと頑張るか、別のブログサイトに乗り換えるか、検討していきたいと思ってます。

解決できたらまたお知らせしますので、もうしばらくはこの状況をご容赦ください。