2007年3月11日日曜日

横顔岬

この岬の正式名称は饅頭岬。読んで字のごとく、饅頭みたいな形をしているから。
でもよくよく見てみると、人の横顔が幾つも見えてくる。名づけて横顔岬。
さて、あなたは幾つの横顔を見つけられるでしょうか??

2007年3月7日水曜日

人のいない街

小笠原への唯一の交通手段、おがさわら丸は6日で東京の竹芝と父島の二見港を1往復している。竹芝を出て太平洋上で1泊、二見港に到着して3泊、二見港を出て太平洋上で1泊、竹芝に到着して1泊、そして翌日にまた竹芝から二見港に向けて発つというスケジュール。

近頃は学生の春休みシーズンとザトウクジラのシーズンが重なって、おがさわら丸の乗客数が回を追うごとに増えている。毎回、おがさわら丸が二見港に入港する日になると、朝8時の村内有線放送で、おがさわら丸の乗客数が放送される。今回はなんと473名。島の人口が2000人程度だから、おがさわら丸が二見港に着岸している3泊4日の間は島の人口の約5分の1が観光客という計算になる。

村の飲食店やツアーガイドは、この3泊4日の間はフル稼働。そしておがさわら丸が去ると皆いっせいに休息に入り、街の中にはうそのように人がいなくなる。

小笠原に来たばかりの頃、ほんの1ヶ月前のことだけれど、この、潮が引いた後のうそのような静けさをたまらなく寂しく感じていた。

1ヶ月が経ち、こんな島の生活のリズムに少しずつ順応してくると、潮が引いた後も、人がいないながらも街の飲み屋は営業中、中から聞こえてくる、繁忙期を乗り越えてくつろいでいる島の人たちのゆったりとした笑い声に安らぎを感じる。

透明という色


2007年3月3日土曜日

歴史の中に埋もれた村

父島の周回道路の南端にある小港海岸で車を降り、遊歩道を歩いて標高100m程度の中山峠を越え、また海岸まで下りてきたところに、ブタ海岸がある。遊歩道はこのままブタ海岸を南方向に横切り、さらに南のジョンビーチ、ジニービーチへと続いている。ジョンビーチ、ジニービーチはカルスト地形とサンゴの破片から成る真っ白な砂を目当ての観光客の目指す所。流木がそこらじゅうに横たわり、砂の色が灰色で、どことなく殺風景なブタ海岸には目もくれず、人々は通り過ぎていく。

このブタ海岸に注ぎ込む南袋沢という小川を遡上してみた。

南袋沢は、流路長1.5km程度、それでも東西の幅が4km程度しかない小さな父島の中では比較的まともな河川。この約1.5kmの小川の両脇に、高さ100m程の崖が切り立っている。崖の上を通る遊歩道からこの谷間を見下ろすと、一面緑の草木に覆われていて、それ以外は何も無いように見える。

ところが、この谷間を流れる南袋沢を遡上してみると・・・。


緑の木々の下には崩れかけた石垣、石畳の道、そして井戸の跡。まさに、人々が生活していた跡。石垣や石畳の間にはガジュマルの根が張り、井戸は崩れて底が見え、遺跡そのもの。

南袋沢の川べりに残された石垣。

南袋沢の水面に写るガジュマルの木。写真左上のゴロゴロとした石の並びが石畳の道の遺構。


井戸の遺構。

この場所の歴史を紐解いてみると・・・。戦前にはこの場所には袋沢村という集落市街があり、捕鯨や漁業等で栄えていた。それが、戦時中には父島全島の要塞化のために人々は疎開、戦後は長らくアメリカの占領下にあり、小笠原諸島の日本返還後にも復興されることはなかった。

ほんの60年ちょっと前の話、それなのに、家の跡形も無く、石の構造物の残骸しか残されていない。戦時中にこの場所で何があったのかは知らない。自然の力による風化でこんなになってしまうものなのか・・・。時間の流れという力の大きさを感じた。

2007年2月26日月曜日

自然の造形美

小笠原諸島では、父島の南西端から南島にかけて、そして母島の石門と呼ばれる地域にのみ、大昔に発達したサンゴにより形成された石灰岩からなるカルスト地形が存在する。

石灰岩は、二酸化炭素を含んだ弱酸性の雨や地表・地下水により浸食を受けて独特の形状を生み出す。ここ父島のジニービーチ近辺では、針山のように尖った岩、まん丸の穴が開いているような面白い形の岩、そんな岩々に囲まれたすり鉢状の砂地を見ることができる。
この砂地の一端に、なぜかオガサワラビロウ(小笠原固有のシュロの木)だけが元気にニョキニョキ生えていた。

カタツムリの王国

小笠原の世界自然遺産登録に向けた動きを知っている人でも、小笠原が何を売りにして世界遺産に登録しようとしているか知っている人は少ないように思う。

UNESCOによる世界自然遺産登録の基準には、
(ⅶ)景観:最上級の自然現象、類い希な自然美
(ⅷ)地形・地質:地球の歴史の主要な段階の顕著な見本
(ⅸ)生態系:進行中の生態・生物学的過程の顕著な見本
(ⅹ)生物多様性:生物多様性の生息域内保全にとって最も重要な自然の生息地を包含
の4つがある。

小笠原は、このうち(ⅷ)、(ⅸ)、(ⅹ)の基準に該当するとして、登録推薦を目指している。具体的に何かというと、(ⅷ)については、小笠原諸島が形成された過程、そして、世界中で、ここでしか地上で目に触れて観察することのできない特殊な岩石の存在。(ⅸ)、(ⅹ)については、陸産貝類、すなわちカタツムリの仲間の種分化の過程と種多様性が貴重であるとされている。

(ⅸ)については、例えばガラパゴス諸島では、チャールズ・ダーウィンが「進化論」の着想を得たといわれるダーウィンフィンチが該当する。

これに比べると、小笠原はカタツムリの仲間とは、なんと地味な・・・と思われるかもしれない。実際に現場で見てみると、本当に地味。小さいものは殻の直径が5ミリに満たない小さなものからある。けれど、本当にいろいろな色や形の殻をもったカタツムリがいる。小笠原産のカタツムリの仲間はなんと95種もあり、その93%が、世界中で小笠原にしかいない固有種。

そして、森に入るとそんなカタツムリの仲間達がそこらじゅうにいる。海岸に行くと、大昔に死んだカタツムリの仲間の殻が地層に埋もれて化石になり、その後地層が波や風雨による浸食を受けて再び地上に出てきたものがゴロゴロ転がっている。カタツムリの殻だらけの海岸なんて、なんだか異様な感じがする。
あんなに動きがノロいカタツムリの仲間が、化石になるような時代から現代に至るまで繁栄し続けるとは、それだけ天敵や競合相手のいない、のんびりとした島だということ。この、大陸と比べると生物種数の極めて少ない、極めてシンプルな生態系こそが小笠原の独自性なんだと思えてくる。

そして生態系がシンプルであればあるほど、人間の手により突如として持ち込まれる外来種に対して在来の生物は抵抗力を持たず、その影響は計り知れない。


戦争の痕跡

父島近辺では、至る所で戦争の痕跡を見ることができる。
最近「硫黄島からの手紙」で話題になった硫黄島ほどではないが、父島も旧日本軍の太平洋戦線の重要拠点で、たくさんの方が亡くなった場所。

父島の北隣に位置する兄島、ここにも戦争の痕跡は残っていた。兄島は現在無人島で、植物や動物の調査に入る研究者以外はほとんど立ち入らない場所。こんな場所に、旧日本陸軍の標識や、ここまで電気を引くために使われたと思われる電柱を発見した。

そして、錆びてボロボロになった機関銃の弾丸も。