4月20日から30日までの間、仕事の事情もろもろあって、2ヶ月半振りに内地に戻った。
まず驚いたこと。Pasmoのサービスが始まって、SUICAで私鉄もバスも何でも乗れるようになっていたこと。たった2ヵ月半なのにこの進歩。暫く島流しで浦島太郎状態だったことを改めて実感。
今回の内地帰還の目的のひとつは、小笠原で事務所を移転するために、必要な備品等々を買い込むことだった。そのために、GW前半は、ひたすらホームセンターやら巡り巡っていた。そうしていると、買うべきものは決まっているのに、それ以外のモノに目が移ってしょうがない。
小笠原にいると、ホームセンターなんてないし、それはそれで満足した生活を送っている。ところがひとたび内地のホームセンターに入ってみると、かゆいところに手が届くような便利アイテムの数々の陳列、しかも驚くような低価格。あれもほしい、これもほしい、こんなのあったら小笠原生活が楽しくなるな、そんなこんなで物欲が爆発!小笠原では考えられないような低価格の釣竿、釣った魚を燻製にするのにちょうどよさそうなスモーカー、新しい事務所にぴったりとフィットしそうな収納家具の数々、コンパクトにまとまるソファベッド、快適そうな寝具・・・。たぶん、今までの自分の人生の中で最も大量の買い物をした3日間だった。
内地には、生活に必要な便利用品は本当になんでもある。言葉通りかゆいところに手が届く感覚。生活に必要な工夫は、全て商品開発者がやってくれる。彼らの商品開発能力に敬服。そして、そんなモノに溢れている日本(内地)はすごい。
2007年4月4日水曜日
青灯台
父島の飲み屋街(とはいっても、飲み屋が数軒集まったこぢんまりとしたもの)の、海から向かって奥のほうに、青灯台というバーがある。外見は、呑み屋ともバーとも何も書いていない、薄暗くて何だかわからないようなもの。入り口のアプローチ脇には、灯台のレンズのようなガラスの玉の中に入った電球が点滅している、なんだか怪しげな雰囲気に誘われて、建て付けの悪い木製の戸を押し開けてみると・・・。 
中には、隠れがのような、程よくひなびた木目調の温もりのある空間が広がっている。ここのマスターのお姉さんの爽やかな笑顔と語り口、そして音楽も落ち着いていてとてもいい。東京から1000km海を隔てて、こんなに居心地のいい場所を見つけたことが素直に嬉しい。
中には、隠れがのような、程よくひなびた木目調の温もりのある空間が広がっている。ここのマスターのお姉さんの爽やかな笑顔と語り口、そして音楽も落ち着いていてとてもいい。東京から1000km海を隔てて、こんなに居心地のいい場所を見つけたことが素直に嬉しい。
2007年3月25日日曜日
「島民にならなくっちゃね」
島在住30年になる、とある釣り船の船主の話を聞く機会があった。
船主曰く、「昔はよかったなぁ、この島ものんびりしていて、金儲けなんて考えるやつはそんなにいなくってさ。近頃の小笠原は、なんだか忙しくて、ギスギスしていて嫌だよ。」
30年前、彼が小笠原に来た当時は、小笠原への交通手段は、現在のおがさわら丸の前々代の「ちちじま丸」、東京から父島までの所要時間は約36時間。その後、1979年に初代「おがさわら丸」が就航、所要時間は29時間に短縮された。現在の「おがさわら丸」が就航したのはちょうど10年前の1997年。現在の所要時間は約25時間。近頃は空港建設の話も持ち上がっている。
民放のテレビが入るようになったのは、ほんの7年前の2000年、それまでは衛星放送を受信しなければ民放は見ることができなかった。
携帯電話が通じるようになったのは8年前の1999年、当時はNTTドコモの音声通話のみ、iモードやメールは使えなかった。2006年8月、ようやくFOMAプラスエリアとして、父島と母島の一部地域でiモードのメールやデータ通信等のサービスが利用できるようになった。
インターネットに関しては、衛星回線の高度化によりISDNまで利用可能であるが、常時接続のブロードバンドには対応していない。
ここ30年間の話、徐々にではあるけれど、小笠原は着実に内地に近づいてきている。
船主曰く、「昔はよかったなぁ、この島ものんびりしていて、金儲けなんて考えるやつはそんなにいなくってさ。近頃の小笠原は、なんだか忙しくて、ギスギスしていて嫌だよ。」
30年前、彼が小笠原に来た当時は、小笠原への交通手段は、現在のおがさわら丸の前々代の「ちちじま丸」、東京から父島までの所要時間は約36時間。その後、1979年に初代「おがさわら丸」が就航、所要時間は29時間に短縮された。現在の「おがさわら丸」が就航したのはちょうど10年前の1997年。現在の所要時間は約25時間。近頃は空港建設の話も持ち上がっている。
民放のテレビが入るようになったのは、ほんの7年前の2000年、それまでは衛星放送を受信しなければ民放は見ることができなかった。
携帯電話が通じるようになったのは8年前の1999年、当時はNTTドコモの音声通話のみ、iモードやメールは使えなかった。2006年8月、ようやくFOMAプラスエリアとして、父島と母島の一部地域でiモードのメールやデータ通信等のサービスが利用できるようになった。
インターネットに関しては、衛星回線の高度化によりISDNまで利用可能であるが、常時接続のブロードバンドには対応していない。
ここ30年間の話、徐々にではあるけれど、小笠原は着実に内地に近づいてきている。
「空港とか通信とか、なんでそんなに速くしよう速くしようって頑張るんだろうね。みんな島が良くて島に来ているのに、便利なのが良かったら内地に帰りゃいいのに。島に来たら、島民にならなくっちゃね。」
ごもっともな話。近頃は日本国内の地域間格差が問題になっていて、少しでもこの格差を是正しようと、交通や通信等のインフラ整備に大金が投じられているけれども、必ずしも誰もがそれを良しと思っているわけではない模様。格差是正という名の下にインフラ整備が進むと、不便であるという条件の下に形成されている地域の特性が失われかねない。それをどう捉えるかは個人の価値観次第だけれども。
注1:船主のセリフについては、できるだけ意を汲むように再現していますが、一字一句同じというわけではありません。
注2:小笠原のインフラ発展の歴史については、「フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)」を参考にしています。
2007年3月17日土曜日
古典的な床屋
父島には床屋が1軒ある。美容室はというと、床屋の椅子が二つ並んでいる左側に、間仕切りで区切られた空間に椅子がひとつ、それが美容室になっている。髪が伸びたら、友達に切ってもらうか、ここに来るか、選択肢は二つ。
小笠原に来てもう1ヶ月、ずいぶん髪が伸びたから、まずは床屋に行ってみた。髪を切っているお兄さんは、推定年齢20代後半~30代半ば。結構若い。白衣のような作業着を着て、きっちりとマスクをつけて、切ってもらうこっちが緊張してしまう。
カットは極めて慎重、刈り上げの毛の揃いをしきりに意識している様子。カット後には生え際の産毛をナイフのような剃刀で剃り、顔剃りもきちんとやってくれる。腕前は確か。
さてと、仕上げはというと・・・。カットはベリーショートなのに、期待通り七三分けにしてくれた。鏡に映った七三分けの自分の顔を見て苦笑。お兄さん、「仕上げはどう致しましょうか?」。やっそ「何もしなくていいです、今日は休日なので」。
ヘアワックスはなさそうだし、下手に「ムースで」なんて言おうものなら、もっとくっきり七三になって、そんな自分を見て笑いをこらえられなくなりそうだった。
小笠原に来てもう1ヶ月、ずいぶん髪が伸びたから、まずは床屋に行ってみた。髪を切っているお兄さんは、推定年齢20代後半~30代半ば。結構若い。白衣のような作業着を着て、きっちりとマスクをつけて、切ってもらうこっちが緊張してしまう。
カットは極めて慎重、刈り上げの毛の揃いをしきりに意識している様子。カット後には生え際の産毛をナイフのような剃刀で剃り、顔剃りもきちんとやってくれる。腕前は確か。
さてと、仕上げはというと・・・。カットはベリーショートなのに、期待通り七三分けにしてくれた。鏡に映った七三分けの自分の顔を見て苦笑。お兄さん、「仕上げはどう致しましょうか?」。やっそ「何もしなくていいです、今日は休日なので」。
ヘアワックスはなさそうだし、下手に「ムースで」なんて言おうものなら、もっとくっきり七三になって、そんな自分を見て笑いをこらえられなくなりそうだった。
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