今回はちゃんとネタがあるので、ヒマラヤ保全協会会報への投稿記事はまた次の機会ということにして、新しいネタを披露します。
近頃、また現場仕事が増えている。
この島で、山に入って調査をしていると、どこへ行っても、100%、戦争の遺構に遭遇する。それは、昔の軍道沿いに建てられた電信柱の残骸であったり、防空壕であったり、上陸戦に備えた塹壕であったり、爆撃で地面に空いたすり鉢状の穴だったり、周囲に散乱する弾丸であったり。
その中で、今回はひときわ印象に残るものに遭遇した。

とある山のてっぺんに、2年前に訪れた時からの植生の変化を観察してみようと行ってみたら、半円形の細長い窓のある、ドーム状のトーチカを発見した。そのきれいな形状に惹かれて中を覗いてみると、何やら奥のほうから光が射している。もしや、裏側から入れるのでは…。そう期待して回ってみると…。

さらにそこを辿ってみると…

中に入ってみると…

なんともきれいに整えられたドーム状の空間。まんなかの円柱状の台が、このトーチカに据えられた機関銃の台座だったのだろう。以前、板長という戦跡ガイドさんに連れられて別の戦跡に入ったときのことを思い出した。戦時中、日本軍は民間人を兵隊として駆り出すとき、もともとの職業を考慮して、例えばトーチカの設営には左官職人を送り込んだそうだ。戦後60年以上経ってこれほどきれいに残っているとは、この職人さんの腕の良さには感服するばかり。
ここから外を覗いてみると…

当時、兵隊さん達は何を思ってここから水平線を眺めていたのだろうか。
近くを歩いていると、機銃の弾丸なのだろうか、直径1.5センチ、長さ8センチほどのひしゃげた弾丸が転がっていた。戦闘機から撃ち放たれた機銃の弾丸が、岩に直撃したのだろうか。その瞬間を思い起こさせる、生々しい落し物。

今度は、お弁当を食べていると足もとに小さな銃弾が。これは薬莢もセットになっているから、使われていない銃弾なのだろう。兵隊さんが銃に弾を込めながら、ポロリと銃弾をこぼして「おっと」とたじろいでいる姿を勝手に想像した。

小笠原にいると、戦争は歴史の中の断片ではなくて、僕たち日本人が歩いてきた道のりのちょっと前の地点に、連続して存在していることを実感する。
小笠原の街はなかなか発展しない。なぜかというと、土地の流動性がとても低く、今という時代に合わせてうまく土地を使うことができないから。地主がだれかわからない、わかっても島にはおらず、内地のどこにいるのかわからない、連絡がとれないことが多いそうだ。戦時中の強制疎開で、国の都合でこの地を離れ、小笠原が日本に返還されるまでの20年以上の間に疎開先に定着した人もいたのだろう。国の都合で故郷を奪われた人々によって残された土地を、新しい時代の都合で開発することはできないということなのだろうか。こんな形で、おとしまえがつけられていない、後を引く戦争の爪痕を感じる。